大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)167号 判決

控訴人(附帯被控訴人) 在原伸道

被控訴人(附帯控訴人) 在原昭子 〔いずれも仮名〕

主文

一、原判決中被控訴人(付帯控訴人)の控訴人(付帯被控訴人)に対する扶養料の請求を認容した部分(原判決主文第三項)を取消す。

二、被控訴人(付帯控訴人)の右扶養料の請求を却下する。

三、控訴人(付帯被控訴人)のその余の控訴および被控訴人(付帯控訴人)の付帯控訴をいずれも棄却する。

四、控訴費用は第一、二審を通じこれを五分し、その二を被控訴人(付帯控訴人)の負担、その余を控訴人(付帯被控訴人)の負担とする。

事実

控訴人(付帯被控訴人、以下単に控訴人という。)は、控訴につき、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人(付帯控訴人、以下単に被控訴人という。)の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審ともに被控訴人の負担とする。」との判決を、付帯控訴につき、付帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人は、控訴につき、「本件控訴を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を、付帯控訴につき、「原判決中被控訴人敗訴部分を取消す。控訴人は被控訴人に対し京都市伏見区深草大亀谷古御香町七九番地畑一反一畝二二歩を分与し、かつ金三〇万円を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張と証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

一、被控訴人が控訴人に対し抱いている敵意と嫌悪は、被控訴人の悪質な精神障碍より来る妄想である。控訴人が一家の主人として被控訴人および三人の子供が悲惨な境遇に陥るのを保護する義務を負うことを主張しているのに、被控訴人の妄想をきき入れて、離婚を命じることは不当である。

二、控訴人と被控訴人は、長期間別居してはいるが、その間控訴人としては、送金を続け、直接被控訴人を刺戟せずに生活させることに留意して来たのであつて、それぞれ完全に独立して生活していたのではない。もし離婚していたならば、被控訴人が一年以内に完全に廃人となつていたことは明白であり、現在も母子間の関係は悲惨で長男は家出し二女は非人間的暴圧に堪えて生活している。控訴人は、学校、親戚、近隣に対し、平謝りに謝りつつ現在に至つているのであつて、控訴人と被控訴人との関係は完全に破綻したとはいえない。

三、過去において被控訴人の精神障碍により起つた重大事件は控訴人の保護と弥縫策により辛うじて事なきを得、次いで別居中は被控訴人が訴訟を起している緊張感により表面事なきを得てきたが、もし離婚が成立し控訴人の保護を失えば、忽ち常軌を逸し子供に迷惑を及ぼすのは勿論、いかなる対外事故を引起すかもしれない。また被控訴人の有する資産は、若干の固定資産のみであつて、被控訴人の偏執性よりみて、この程度の資産がいかなる助けにもならないことは自明であり、被控訴人の精神障碍の一半の原因が財物関係にあつたことも将来の悲惨な運命を占うに充分である。

(証拠関係)〈省略〉

理由

一、原審および当審における被控訴人および控訴人の各供述(原審は各第一回)と弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、控訴人は、陸軍士官学校の卒業が被控訴人の亡兄忠義と同期であつた関係で被控訴人と結婚することとなり、昭和一八年一月一二日入夫婚姻の届出をしたのであるが、その後夫婦の間には、昭和一八年一一月九日長男義和が、昭和二三年九月一一日長女秋枝が、昭和二八年五月六日次女佐知子が出生した。結婚当時控訴人は陸軍少佐であつて、夫婦は控訴人の勤務地である高崎市、東京市、金沢市で共同生活をしたが、昭和一九年七月控訴人が上海に赴任し、被控訴人は肩書住所の母うめのもとにかえり、別居することになつた。控訴人は、終戦後の昭和二一年一一月に内地に送還されたが、重症の栄養失調のため京都市内の病院に入院し、昭和二二年二月五日退院して被控訴人肩書住居に帰つた。それ以後被控訴人と控訴人は、後記のように昭和三二年春から昭和三四年一月まで別居したほかは昭和三六年七月二日まで、被控訴人の母うめ(後記のように昭和三四年一月一四日死亡)および前記の子供三人と共同生活を営んでいたものである。

二、そして、成立につき当事者間に争がないことまたは弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証、第一六号証の五、六、第一七号証の一ないし四、第一八号証の一ないし八、第一九号証の一、二、第二〇号証の一ないし三と原審および当審における被控訴人および控訴人の各供述(原審は各第一回)ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次のような事実が認められる。

1、被控訴人と控訴人とは、結婚当初からあまり円満とはいえず、被控訴人は、控訴人の性格が異常であることを母うめに訴え、一方控訴人は、うめに対し、「被控訴人が平気で男の噂をする」とか「控訴人が散髪入浴のため外出中訪問した控訴人の同僚の某少佐を家の中に通した」と非難する手紙を出す等双方が必ずしも重大でないことを問題にして、争の原因を作るようなことがあつた。

2、昭和一八年一一月控訴人は、金沢へ単身赴任し、被控訴人は、長男義和を分娩するため京都の実家に戻つて一時別居し、昭和一九年四月義和を連れて金沢へ赴き再び同居することになつたのであるが、控訴人は、同年七月上海へ赴任した。この期間は僅か三ケ月とはいえ夫婦仲は比較的平穏であつたが、控訴人が金沢に勤務中には、在原家の山林の木の売却をめぐつて、これを売るべきでないとする控訴人と管理が困難であるから売るとするうめとの間にいさかいが起つたこともあつた。

3、控訴人は、昭和二一年一一月栄養失調重症患者として送還され、京都国立病院に入院した後、昭和二二年二月に退院した。当時被控訴人は、肩書住所において母うめと同居していたが、控訴人退院以前から両者の仲は悪く、家を半分に仕切り相互に別個独立に生活するようになつていた。

この状態は控訴人退院後も同様であつて、控訴人、被控訴人、義和とうめとは同一家屋内に居住しながら生計は別にし、うめは売り食い等をし、一方控訴人は当分は働けないため被控訴人が行商等をして生活を支えた。

4、控訴人は、公職追放のため就職が制限されていたので農業を始めることになり、被控訴人が金を工面し、小作人に離作料を支払つて小作地の返還を受け、昭和二三年からは夫婦が協力して農業に従事した。そのうち長女秋枝が生れ、被控訴人は、育児にも手をとられるようになつたし、また現金収入も必要であつたため、被控訴人は、農繁期の手伝い以外は主として行商等をし、農作業は主に控訴人が行なうようになり、その間被控訴人は、養鶏、あひる飼い、編物、ミシン内職等をして家計を助けた。この間控訴人と被控訴人、控訴人とうめ、被控訴人とうめの関係は、いずれも円満を欠き、三者がそれぞれ自分の意見、主張を固執していがみ合い、たとえば、控訴人が、農業経営上家を仕切つているのが不便であるとして勝手にこれを取り払い、これを怒つたうめと控訴人が暴力に及んだため、警察の関与をわづらわしたこともあつた。

5、ところで、昭和二九年頃から被控訴人に精神障害があると認められるようになつたので、控訴人は、昭和三〇年一月末頃保健所の係員や警察官の応援を頼み、外出中の被控訴人を突然自動車に押し込んで南川病院へ連れて行き、被控訴人は、同年二月七日まで同病院に入院していた。

6、控訴人は、昭和三〇年五月から陸上自衛隊関西補給廠宇治支所に勤務して月給を家計に入れるようになり、一方被控訴人が農業をするので、従来よりは生活が安定し、夫婦の関係は表面上しかも一時的には平穏となつたが、被控訴人は控訴人が強制的に自分を入院させたことをうらみに思つていたし、双方とも相手方を警戒するのみでお互に打とけることは毛頭なく、一方うめと控訴人および被控訴人との関係は従来同様であつて、うめは昭和三〇年一〇月京都簡易裁判所に家庭内の和合を求める趣旨の調停の申立をするに至り、その頃から控訴人は、被控訴人に対し月給のうち一万円位しか渡さないようになつたし、控訴人との関係は再び険悪となつた。

7、このように控訴人、被控訴人、うめが三つ巴になつて反目しながら日時が経過するうち、昭和三二年春頃になつて、直接の原因は明らかではないが、被控訴人と控訴人の対立は激しくなり、控訴人は他に下宿し、夫婦は別居するに至つた。右別居は、昭和三四年一月頃まで続いたが、その間控訴人は毎月一万円づつの仕送りを続けていた。

8、昭和三四年一月一四日母うめが死亡し、その後間もなく親戚の仲裁で控訴人は自宅に帰り、被控訴人と同居するようになつた。しばらくは風波も少なかつたが、夫婦の関係は次第に悪化し、昭和三六年二月末頃には、些細なことが原因で控訴人が暴力をふるつたことから、被控訴人は、控訴人の食事の世話はできない、と言い、控訴人は、食事をさせないなら月給を入れない、として対立し、はては同年四月一八日控訴人の不在中、被控訴人が控訴人の夜具等を玄関外に持ち出し、給料を入れないなら別居して欲しいと書いた紙片を添えて戸締りをしておいたところ、控訴人は帰宅後軒下に寝具を敷いて寝るようになり、この状態を同夜から約一週間続けた後、友人の家に世話になつていた。ところが同月二七日朝、控訴人は、警察官等の応援を得て、被控訴人が精神病者であるとして宇治市所在の洛南病院に連行して入院させ、控訴人自身は同日から再び自宅に入居した。

9、夫婦間の子供三人は、従来から控訴人が被控訴人をいぢめるとして控訴人に対し反感を抱いていたが、右被控訴人入院中にも、長男義和が控訴人に反抗したので、控訴人は、しばしば警察にこのことを訴え、一度は警察官が訪れて義和に注意したこともあつた。たまたま被控訴人が病院の許可を得て自宅に宿泊していた昭和三六年六月三〇日にも控訴人と義和が対立し、義和らが控訴人に対し出て行つてくれと要求し、控訴人は、同夜は外に宿泊した。

10、被控訴人は、義和、秋枝の意見を聞き、同人らも離婚に賛成したので、翌七月一日京都家庭裁判所に離婚の調停の申立をし、また控訴人の勤務先の上司に事情を訴えて、控訴人が帰宅しないように説得方を依頼した。そこで、控訴人は、同日は帰宅せず、翌七月二日一たん帰宅して衣類等を荷作りして持出し、それ以後被控訴人方に帰らず、この別居の状態は今日に至るまで続いている。

11、現在控訴人は、単身で下宿をして被控訴人に送金し、被控訴人は、高等学校二年生の二女佐知子と同居し、長男義和は、大学卒業後就職して別居し、長女秋枝は、被控訴人から送金を受け、下宿をして大学に通つている。

三、以上認定の事実に弁論の全趣旨をあわせ考えると、被控訴人と控訴人との婚姻関係は、完全に破綻に陥り、到底旧に復する見込はないものと認めるのが相当であつて、その理由は、概ね次のとおりである。

1、被控訴人と控訴人は、昭和三二年春から昭和三四年一月まで約二年間の別居をし、その後親戚等の仲裁に基づき二年余の間対立を続けながらどうにか同居していたが、昭和三六年七月二日第二回の別居に入り、その後控訴人は、被控訴人に仕送りをしてはいるけれども、互に全く交渉はなく別個独立に生活を営んで来たもので、その期間はすでに九年以上にも及んでいる。

2、被控訴人は、これまでの結婚生活の経緯、控訴人との心理的な葛藤、ことに二度にわたりやや異常な方法で精神病院に入院させられたことに対するきわめて深い不満から、控訴人に対し夫婦としての愛情を全く失つているのみならず、極度の敵意と嫌悪の情を表しており、控訴人との婚姻共同生活を頑強に拒否し、婚姻を継続しようとする意思は全然認められない。被控訴人の控訴人に対する反感や嫌悪の念は、必ずしも控訴人の言うように被控訴人の精神障害に基因する妄想にすぎないとは認められず、結婚以来長年にわたる共同生活の間における控訴人の言動に深く根ざしているものであつて、精神障害の治癒によつても消滅するものではないと考えられる。

3、一方、控訴人は、婚姻の継続を希望しているが、これは被控訴人に対する夫婦としての情愛から発しているとはいえず、むしろ、被控訴人や子供達を保護しなければならないとの夫または父としての義務感に基づくものであり、さらには、被控訴人所有の世襲財産に対する未練も全くないとは断言できないようにも思われる。

4、双方の子供達も控訴人を嫌悪し、控訴人は、第二回別居後は殆んど会うこともなく、子供達の生活状況すら知らない状態であつて、子供達は、少くとも離婚がやむを得ないものと考えている。

5、このような状態に陥つた原因は、双方の性格上の欠陥にあることは後記のとおりであるが、性格それ自体はもはや今後において矯正の可能性に乏しく、また現段階に至つては、当事者自らの反省と努力によつて円満な婚姻生活を送るために言動を制禦することも到底望み得べくもない。しかも、被控訴人と控訴人の長年にわたる確執のため、現在双方の親戚知人等で協力や援助を与えて円満な婚姻関係を回復するための仲介の労をとる者も見当らない。

四、そこで、右のように婚姻関係が破綻したことについての当事者の責任について検討する。

1、前記認定の事実からみれば、被控訴人と控訴人の婚姻関係の右のような現状は、控訴人、被控訴人だけでなくこれに母うめをも加えた家族の間における長年にわたる対立、抗争が集積した結果であることは明らかであるが、窮極においては、右の三者の異常な性格およびこれに基づく常識外れの行動に基因とするものと認められ、このことは被控訴人の姉婿である原審証人池上正高の供述するところであるし、当裁判所も右意見を支持すべきものと考える。この点、被控訴人については、後記のように、過去二回の精神病院入院時において精神分裂病と診断されているので、単なる性格異常を超えるものであるともいえるが、控訴人についても、上叙認定の事実と弁論の全趣旨に照らすと、かなりの偏屈さとともに常識的な円満さに欠ける点が存在し、夫婦双方の非常識な言動が相互に刺激し合い、不和、対立の度を高めて行つたものと認めるのが相当である。

2、ところで、被控訴人は、控訴人が二度にわたり被控訴人を精神病者扱いにして精神病院に収容したとし、このことが婚姻関係破綻の重要ないし決定的な原因となつたと主張するが、控訴人がとつた右入院措置が不法なものとは、いえないことは、原判決の説示するとおりであるから、原判決理由の第三(原判決二三枚目裏一一行目から二六枚目裏七行目まで)をここに引用する。

3、その他、被控訴人および控訴人は、原審(各第一回)および当審における本人尋問において、それぞれ相手方の不当な言動を挙げて、本件婚姻関係破綻の原因が相手方にあることを強調するが、これらの言動のいずれが原因であり、いずれが結果であるかは容易に断定できず、要するに、双方が性格的に異常な点が多いと認められるにかかわらず、互に他方を非難するのみで、自らの性格的な欠陥を克服、改善し、ないしはこれに基づく非常識な言動を制禦する努力を怠つたことが、本件婚姻関係破綻の原因であり、その意味では双方に責任があるものといわねばならない。しかし、その責任の程度については、被控訴人と控訴人のいずれかがより重いと断定するだけの資料はなく、少なくとも、被控訴人が主として責任を負うべき場合には該当しないというべきである。

五、以上のように、被控訴人と控訴人との婚姻関係は、回復不可能なまでに完全に破綻し、しかもその破綻について被控訴人がもつぱらまたは主として責任を負うべき場合に該当しない以上、本件は民法第七七〇条第一項第五号にいう婚姻関係を継続し難い重大な事由があるときにあたるということができる。

ところが、控訴人は、被控訴人が控訴人と離婚した場合その精神障害が急激に悪化して生活に困窮し、子供の養育ができなくなるとか、将来子供が結婚した場合、嫁との間に悲惨な事態が起き、また被控訴人が再婚したとすればさらに悪い事態になると主張するけれども、現在のところ、右主張のような事態の発生を予測させるような事実を認めるに足りる証拠はない。のみならず、原審証人西陣進ならびに原審および当審における被控訴人の各供述と弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人の精神障害は、さほど重いものではなく、とくに妄想を触発するような環境でなければ通常の社会生活は可能と認められるのであつて、現に洛南病院退院後は精神医学的な治療は全く受けていないにもかかわらず、すでに一〇年近くもの間、控訴人からの送金に依存したとはいえ、三人の子女を抱え、独立して一応無事に一家の生活を維持して現在に至つており、その間とくに生活に支障があつたり、常軌を逸した行状があつたことは認められない。かりに、被控訴人が控訴人と同居中に控訴人主張のような奇矯な言動に及んだことがあつたとすれば、むしろ容態は好転したともいえるのであつて、この点について、被控訴人が訴訟を起している緊張感により表面事なきを得ているとの控訴人の主張を裏付ける根拠は見当らない。また被控訴人のように精神的、性格的な欠陥を有する者は、それだけ社会生活に対する適応能力が低下しているから、適当な保護者のもとに生活することが望ましいとはいえるけれども、前記のように被控訴人が控訴人に対し激しい敵意を抱いている現状では、控訴人に被控訴人の保護者としての役割を期待することはできず、控訴人との共同生活を強要することはかえつて逆効果になりかねないというべきである。さらに離婚後の被控訴人の生活および子女の養育については、控訴人から仕送りはなくなつても、後記のように被控訴人は相当の資産を有し、かつ生計の方途が講じられているから、その生活と大学および高等学校に在学中の長女秋枝および二女佐知子の養育が経済的な面からただちに著しい支障を来すとは認められないし、また未成年の二女佐知子の監護については、後に同人の親権者の指定について説明するとおりである。

よつて、被控訴人の本件離婚の請求は正当であるから、これを認容すべきである。

六、そこで親権者の指定の点について考えるに、当裁判所も原審と同様に、未成年の子である二女佐知子の親権者は被控訴人と定めるのが相当であると思料するものであつて、その理由は、原判決二九枚目裏七行目から三〇枚目裏七行目までと同一(ただし原判決三〇枚目表五行目の「九歳」を「八歳」に、同六行目の「六年」を「九年」に改める。)であるから、ここにこれを引用する。

七、次に財産分与についてみるに、まず当事者双方の資産、収入等の財産状態、生活の状況等は、原判決三二枚目裏一一行目の「先ず」から三五枚目表一一行目までと同一(ただし、原判決三三枚目表二行目の「(各第一回ないし第三回)」の次に「当審における被控訴人および控訴人の各供述」を加え、三五枚目表九行目の「現在は」を「比較的最近まで」に改める。)であるから、ここにこれを引用する。そして右の事実と本件婚姻関係における諸般の事情を勘案すると、本件においては、夫婦財産の清算および離婚後の扶養のいずれの観点から考えても、控訴人から、被控訴人に対しとくに財産を分与する必要はないと認めるのが相当であるから、被控訴人の財産分与の請求は理由がない。

八、進んで慰藉料の請求について検討するに、前に認定したとおり、本件婚姻関係の破綻は、当事者双方の責に帰すべき事由に基づくものであり、しかも控訴人により重い責任があると断定することができない以上、被控訴人が離婚自体によつて精神的苦痛を受けたとしても、控訴人にその賠償義務を負わせることはできず、また、被控訴人の精神病院入院措置が不法行為にあたらないことは前記のとおりであり、その他本件婚姻関係において、控訴人が被控訴人に対し民法第七〇九条に該当するような暴行その他の行為をしたことを確認するに足りる証拠はないから、被控訴人の慰藉料請求もまた失当である。

九、そこで、最後に扶養料の請求について判断する。

民法第八七八条、第八七九条によれば、扶養義務者が数人ある場合に各人の分担額について協議が調わないときは、家事審判法第九条に従い、家庭裁判所が審判によつて定めるべきであつて、通常裁判所が判決手続でこれを定めることはできない(最高裁昭和四二年二月一七日第二小法廷判決民集二一巻一号一三三頁、同昭和四四年二月二〇日第一小法廷判決民集二三巻二号三九九頁参照)。もつとも、人事訴訟手続法第一五条によると、裁判上の離婚と同時にする場合には、通常裁判所は、親権者の指定および財産の分与のほか、子の監護をなすべき者その他子の監護につき必要な事項を定めることができ、その場合当事者に対し金銭の支払その他の給付を命ずることができる旨規定しており、右規定と家事審判規則第五三条の存在および離婚判決確定後改めて扶養料の支払についてのみ家庭裁判所に審判を求めねばならぬ不便等を考慮して、前記「その他子の監護につき必要な事項」の中には監護費用の負担およびその支払方法も含まれ、子に対する扶養料は監護費用にほかならないから、離婚判決において子に対する扶養料の支払を命ずることができるとする原判決のような見解も存在する。しかし、民法第七六六条(同法第七七一条において準用する場合を含む)および人事訴訟手続法第一五条にいう監護について必要な事項に監護に要する費用の負担者、その支払方法等が含まれるとしても、右監護について必要な事項とは、離婚に際し、親権者にならなかつた父母または第三者が監護者に指定された場合において、右監護者が子を監護するために必要な事項をいうのであつて、離婚に際し子の親権者となつた父母が子の養育等に要する費用は右の監護について必要な事項には含まれないものと解するのが相当である。そして人事訴訟手続法第一五条の規定は、本来家庭裁判所の審判事項ではあるが、離婚に必然的に付随しかつ判断の対象が離婚原因の判断と密接不可分の関係にある事項について、とくに通常裁判所が決定することを認めた趣旨と解すべきであるから、右以外の事項について右規定を類推することは許されないというべきである。

これを本件についてみるに、被控訴人は、前記のように二女佐知子の親権者に指定されたのであつて、いわゆる子の監護をすべき者には該当しないから、その扶養料の請求は不適法といわねばならない。

一〇、以上述べてきたところよりすれば、被控訴人の本訴請求中、離婚の請求は正当として認容すべきものであるが、財産分与および慰藉料の請求は失当として棄却すべく、また扶養料の請求は不適法として却下すべきものである。

よつて、原判決中被控訴人の扶養料の請求を認容した部分は不当であるから、右部分を取消して右請求を却下し、控訴人のその余の控訴および被控訴人の付帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡野幸之助 宮本勝美 大西勝也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例